文字内部をすっきりと明るく

文字内部をすっきりと明るく

文字を整えて書くには、言うまでもなく字形や線質の鍛練が大切です。が、それと同じくらい、「文字内部の余白をゆったり広く見せる技術」※間延びせずにを身につけることが重要です。

もっとも、線質がゆるいと文字内部の余白のみならず、文字全体がボヤけますので、書線を引きしめることは、文字内部の余白をゆったりと見せることに直接つながります。

しかし、線の引きしめは一朝一夕にできるものではありませんので(何年もかかります)、最初は線の質よりも、まずは、余白にゆったり感のある文字とはどのようなものなのかを視覚的におぼえておく訓練として、このページをご覧ください。眼を高めない限り腕は高まりません。

 

懐を広く「織」1

糸偏の4・5・6画目ですが、手で書く場合は、普通、↑の見本文字のように点点点と書きます。もっとも、活字(糸)のような書き方をしても大丈夫です。どちらも〇。

懐を広く「織」2

 

 

↓ もう少し高度な見方をしてみます。
「織」比較

特に、上の〇部分のような、画が交差する箇所は、上の(^O^)例のようにすっきりと見せる工夫をしたいところです。交わる画の両方共が重たくなると、この文字(↑上の図版の右側)のような暗い印象になってしまいます。

 

九成宮醴泉銘の「者」
九成宮醴泉銘の「者」

三画目(一番長い横画)がもし、
べたぁ~っとした一本調子な線なら、
四画目と交差する箇所が重たくなってしまいます。

 

 

それでは、なぜ、文字内部の余白をゆったりと作った方がよいのか。

それは、例えば、もし自分が石碑に文字を刻む職人になった場合を想像すれば、内部余白をすっきりと広く保った文字がいかに理想的か、否応なしに得心できます。フトコロを広くとった文字でないと、刻した文字が潰れてしまうおそれが多々あるため、古来、ゴチャゴチャとした煩雑な文字は好まれません。

内部空間の狭い文字は言うまでもなく刻りにくいし、狭苦しい部分をつぶすように刻して糊塗(こと)と言うかウヤムヤにしてしまう端緒にもなります。そういう文字は刻したくない。また、そういう文字からは、息苦しい印象を受けるはずです。

懐を広く「書」1

 「書」縦画引き締め

懐を広く「書」2

 

 

そもそも文字は、紙に書かれてきた年数よりも、石や金属などに刻されてきた年数の方が長いという事実があります。古典には先人の叡智が詰まっています。

文字の本義は、伝達や記録ですので、当然、不明瞭な文字を刻むことはできません。石に刻みつけてでも伝えたいことを、不明瞭に刻むはずがありません。

書が、極端な“ニジミ”や“カスレ”に美を見出し、視覚的なおもしろさにウエイトを移すようになったのは、手書きが活字のスピードや明瞭さに敵わなくなり、視覚的な表現に、生きる道・存在感を示す道を求めたからです。書は、表現部分を大きな目的にする芸術に変身しました。

人間の生命の躍動を、筆と墨で外に現したいのなら、一文字や二文字を大きく書く方が派手にわかりやすくあらわせますので、必然的にそのようなものが多くなってきます。

 

余白の広狭の加減については、
《5つのポイントの 3.余白の広さの加減》をご覧ください。

 

 

 懐を広く「豊」1懐を広く「豊」やや高度なコツこれは、文字内部をすっきり明るく見せるための、やや高度なコツです。外側のラインを内側に向けても(緑の線)、内側のラインに関してはまっすぐ保つように工夫すれば(赤の線)、内部の空間が明るくなります。例えば、先程取り上げました「書」字の、一画目の転折後の書き方も、このような工夫がかなり大切になってきます。

書(一画目)

 

 

 

懐を広く「豊」2

 

何はともあれ、石に刻まれた文字の学習(古典学習)は、書には欠かせません。

書いた文字を刻し易くするにはどのように書けば効率的か。

こういうことをいつも頭の中で想像しながら書く技術を身につけると、内部空間の広い、すっきり明るい書を生み出す近道になります。

今書いた文字をもし自分でほるとなったときに、うまくほれるだろうか・ほりやすいかどうか。

この想像はかなり専門的ではありますが、

この思考によって、今までとはまた違う観点で、自分の書いた文字を見直すことができます。石工の気持ちになってみましょう。

楷法の極則といわれる古典『九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんめい)』は、石碑に刻まれた書ですが、細部の彫りやすさも考えて書かれた明快な文字だなあとつくづく感じます。

 

美しいからほり易い。ほりやすいから美しい。

 

下手なうちは鋒先を無駄に押さえつけてしまうため、一線一線締まりが無く、ふところがゴチャゴチャと繁雑になります。

子供の習字みたいな「大きな字」なら何とかなっても、細字ではごまかせません。半紙に書くような大きめの文字は実生活ではほぼ使いませんので、できれば細字の技術を鍛えたいものです。生きる力にもなります。

 

文字の内部空間を広く、というコンセプトは、この『ウェブ名前字典』の根底にあるものです。

決められた、自由がほとんどきかない、当字典の名前枠の範囲内で、

文字をいかに大きく、またすっきりと明るく見せるか。

これが書をものす者の腕の見せどころというもの。

方寸の宇宙といわれる篆刻(てんこく。印章を刻すこと)の世界にはこの工夫がより求められます。

 

たとえば、当字典の原稿を、自由気ままなサイズでのびのびと書いたとします。そしてそれらを縮小して枠に入れるようなことをするとどうなるでしょうか。ほぼ間違いなく、字粒がバラバラ、まったく統一感の無い原稿群になってしまいます。筆記の難度が下がる分、同時にその原稿全体の美しさも下がってしまいます。

 

ちなみに、このウェブ名前字典のすべての画像は、書いたサイズよりだいぶ拡大して載せています。枠も消さずにそのまま載せています。余白のおさえ方の参考にもなるはずです。

小さく書いたご自分の文字も、それを拡大されますと、間架結構の精度がよくわかります。書いた文字を拡大して確認してみるというこの作業を繰り返すうちに、弱点が見えてきて、だんだんと細かいところにも注意が行き届くようになります。高度なバランス感覚を鍛えることができます。

※かんかけっこう【間架結構】・・・〔間架は点画と点画の間隔、結構は字形の組み立て〕漢字一字の構成法をいう語。(大辞林より)

 

あるいはまた、細部に注意しながら大きなサイズで練習をつづけ、次はその細部の丁寧さを意識しながら細字に生かすということも、文字の練習方法としては良い方法です。初心者のうちは、この方法のように、大きく書いて練習し、だんだんと小さくしていくことをオススメします。そして、その小さく書いたものを拡大してみて、細かいところまで丁寧に書けるようになっていれば、そして字形のバランスも崩れないようになっていれば、着実に書く力が身についているあかしとなります。

九成宮醴泉銘の文字はいくら拡大してもスキがありません。それも妙味のひとつです。

古典「閑」(九成宮)
九成宮醴泉銘「閑」

高校で書道の授業を選択する生徒が、好きな楷書古典を挙げたとき、毎年ほぼこの九成宮醴泉銘がトップになる。

 

古典「閑」(九成宮)2九成宮醴泉銘のこの「閑」字からは、引き締まった印象を受けますが、それにもかかわらず、文字の内部はゆったりとしています。そう見える理由は、補助線で示したような書き方にあります。もし、線の内側(赤線部分)もそらせてしまうと、内部が窮屈になってしまって、ゆったりとした明るい文字には見えません。

 

 

例えば、ゴルフは、細かいことが見えてくればくるほど、かえってスコアがのびなくなるといいますが、書も、細かい部分が見えてくれば、何も知らなかった時のようにはのびのびと書けなくなります。

しかし、この精緻な心持ちは、具眼者の眼に耐える文字を書くためには必須。精緻さ無しに進歩はしません。

細かい部分を難無くこなせるようになれば、文字が変わってきます。

精緻さのある人のみが、(本当の意味で)将来ものになる可能性があります。

愉快な趣味で終わってもいいなら、野放図に楽しんで書いていればそれでいい。

好き勝手なものには、苦しい過程なんてひとつもありません。

敏感になってはじめて、その時から苦しい修練が始まります。

そして、いいものをたくさん見なければ上達できません。眼の高さ以上に上達できないからです。

なんでもそうですが、鈍感なゆるい心持ちのうちは、ただただ楽しめます。

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆

話を少し戻します。

ひと昔前の多くの書家は、「三体千字文」(千字文〔せんじもん〕を楷書・行書・草書の三書体で書くこと)をものしていますが、中でも、内部のゆったりとした一番刻しやすい文字を書かれるのは玉木本三郎氏(号・愛石、1853―1928)です。

下↓の画像は、玉木愛石筆『世話三体千字文』(明治44年・精華堂書店・木版)より。

玉木愛石世話千字文1
玉木愛石(本名・本三郎)筆『世話三体千字文』

 

玉木愛石世話千字文2
玉木愛石(本名・本三郎)筆『世話三体千字文』

 

玉木愛石世話千字文3
玉木愛石(本名・本三郎)筆『世話三体千字文』

 

近代以降の楷書の、五指に入る手腕だと感じます。行書・草書も相当なもの。

*近代以降の楷書の双璧は、おそらく、この玉木愛石氏と、もう一人は松本芳翠(まつもとほうすい、1893‐1971)氏。一度に何百文字書いても、始めから終わりまで淡々と同じ調子で書ける、そういう技術がプロの仕事というのではないでしょうか。(義務教育教科書の楷書手本の、書線の質という観点での白眉はおそらく井上桂園氏〔1903-1997〕)

 

美しいから刻しやすいという楷書の例で外せない碑があります。

大阪府豊中市の「東光院(萩の寺)」〈阪急「曽根」駅徒歩約5分〉に建つ、鈴木翠軒(すずきすいけん、1889‐1976)氏書丹「尚亭川谷先生之碑(川谷尚亭碑)」(篆額は山田孝雄、撰文は藤澤章)です。文字サイズがだいたい4~5㎝四方(きっちりと測ったわけではありません。見た感じの印象で書きました)で、細字というにはやや大きめの文字ではありますが、ゆったりとしていて、これは相当ほりやすかったと思います。昭和15年、鈴木翠軒52歳のときに、五日かけて書丹(丹〈朱墨〉を筆に含ませ石面にはいつくばって石面に直に文字を書く)された名碑です。

 鈴木翠軒1 鈴木翠軒2鈴木翠軒↑ 同碑拓影

 

 

ところで、さきほど取り上げた世話千字文は普通の千字文ではありません。江戸時代に日本で作られたものです(もちろん玉木愛石筆『三体千字文』も刊行されています)

 

玉木愛石筆『三体千字文』
玉木愛石筆『三体千字文』

 

玉木愛石筆『三体千字文』
玉木愛石筆『三体千字文』

 

玉木愛石筆『三体千字文』
玉木愛石筆『三体千字文』

 

玉木愛石筆『三体千字文』
玉木愛石筆『三体千字文』

 

玉木愛石筆『三体千字文』
玉木愛石筆『三体千字文』

 

 

画像を見るとわかりますが、愛石氏の文字は文句なしに刻しやすい。稀有な手腕の持ち主であるということは一目でわかります。言うまでもありません。私が彫師なら、このような文字なら気持ち良く仕事ができると思います。

※せんじもん【千字文】・・・中国六朝時代の詩。一巻。梁(りよう)の周興嗣(しゆうこうし)作。四言古詩二五〇句(千字)から成る。古く中国で、初学の教科書・習字の手本とされた。日本への伝来時期は不明だが、平安後期以降、漢字の習得教育に用いられた。〔大辞林より〕

文字の見本を、木版により出版しなければならなかったこの当時の書き手は、先ずは「彫師がほりやすいように」ということを意識しています。「私が私が」とはなっていません。ほりやすい文字は、ゴチャゴチャとしていないということでもありますので、それらは同時に読みやすい。一方、文字の見本を、木版により印刷しなくてもよくなってからの時代のものは、見本としての文字でありながらも、その文字は次第に「自分自分」という方向になってきました。「まず人のことを細かく考えて書く」から、「最初から自分自分」に変われば、読みにくいもの(刻しにくいもの)になってくるのは当然です。

家屋でも車でも、文具や家電でも、人が住みやすい、人が乗りやすい、人が使いやすい、ということを絶えず考えて造られています。機能とデザインの両方を考えて造られています。

例えば、台所の拭き掃除をしていて、尖った部分がもし一箇所でもあれば、手にケガをしていまいます。そんなシステムキッチンは、いくら豪華なものでもいりません。

一方、文字は、どのように書いても、自分も他人も、実際のところケガをすることはありません。だからとんでもない文字が出てきてしまいます。そういうものを平気で世に投じることができる人は「自分のことしか考えられないのだろうなあ」と思います。ずさんな文字で、人の手を切り傷だらけにしていること・人に不快感を与えていることを想像できる力を先ず鍛えましょう。文字に恐怖を感じる力を鍛えましょう。文字を販売するのであれば、最低限必要な感覚です。腰が低くてニコニコして、いい人そうにしていても、肝腎な文字に真摯さがなければそれは慇懃無礼の人間。

入念な柔軟体操や基本練習をせずに、いきなり激しい動きのスポーツをするでしょうか。まだスポーツなら、痛みを伴うケガをして反省します。誰でも改善しようとします。文字ならケガをしません。だから反省もしません。満身創痍になっていることすらも気づけません。とにかく、基本的なことからきっちりと。

 

 

余談ですが、何十年も前に刊行されたある『三体千字文』の書籍に、冒頭にはその筆者の名前で“〇〇〇〇書三體千字文”と書いてあるにもかかわらず、本文の筆跡がその〇〇〇〇氏のものではなくて、玉木愛石氏筆の千字文にしか見えないものがあります。うまく見せなければ面目が立たない等、何か事情があってかどうかわかりませんが、不思議なことです。

私はこの〇〇氏書の三体千字文を何年も前に求めて開いたとき、〇〇氏筆とは思えないほど繊細な構築性で、これは意外だなあとは即座に感じましたが、まさか他の人のものを使っているとまでは考えませんでした。そしてその時点では、楷書の双璧はこの氏と芳翠氏だと考えるに至りました(古典以外で、今まで当方が楷書を見て、うわっすごい、間〔ま〕がいい、と感じた書人はこの二氏。すなわち玉木愛石氏と松本芳翠氏)。その後愛石氏の千字文(世話千字文ではない方)を求めると、なんとその筆跡が〇〇氏の本と同じで、びっくりしたという話です。さらにあろうことか、〇〇氏書の三體千字文の方が、愛石氏名義の本よりも印刷が美しい。だから〇〇書三體千字文の方をオススメします。しかし、名前を出すわけにはまいりません。何冊が集められますと、お気づきになると思います。私はさまざまな千字文を持っています。自らさまざまな種類を集めて見比べてみることも大切な勉強のひとつです。

芳翠氏の楷書は、クセの強いものも中にはありますので、芳翠氏の楷書を参考にするならば、『松本芳翠臨九成宮醴泉銘』や『北山移文』(細楷)あたりの用筆のものを参考にするのがよいのではないでしょうか。ただ、九成宮を臨書するには、むろん九成宮の碑帖(拓本)そのものを見るに限ります。芳翠氏臨の九成宮を臨書しても九成宮を習ったことにはなりません。ちなみに、近現代に書かれた細楷で、松本芳翠筆『北山移文』以上に質の高いものはほとんど無いと思われます。

松本芳翠筆の細楷『北山移文』
松本芳翠筆の細楷『北山移文』

全28頁、一貫して端正な運筆。

 

 

 

 

松本芳翠筆『松本芳翠臨九成宮醴泉銘』
松本芳翠筆『松本芳翠臨九成宮醴泉銘』

 

 

 

 

松本芳翠筆『松本芳翠臨九成宮醴泉銘』
松本芳翠筆『松本芳翠臨九成宮醴泉銘』

 

 

◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 

文字内部をすっきりと明るく、というテーマに関連して、
接筆についても少し書いておきます。
懐を広く「空」

例えば、「空」の二、三画目の接筆は、ここでは、基本的なものを示す意味でも、書写教育に合わせるという意味でも、くっつけて書いますが、少し離して書いてももちろん大丈夫です。

今たまたま「空」字を取り上げただけで、これに限らず、
「目」「日」「四」の一、二画目や、
「重」の三、四画目、
「青」の五、六画目などなど、それは無数にあります。

離して書くことによってすっきりと明るく見えます。

 

ただ、気をつけたいことは、例えば、離して書いてあるものを児童が真似すれば、見本以上に極端に離して書いてしまう傾向があるということです。

見本文字の、ある部分が長ければそれ以上に長く書き、太ければそれ以上にもっと太く書き、広ければもっと広く書いてしまいます。

 

「接筆を離す」という話題に戻りますが、離し具合のほどよさは、古典をしっかりと見ることで養われます。

自分の書いた(あるいは誰かの書いた)文字をみて、
「これは離れすぎているなあ」など、そういう違和感を感じとれる感性は、しっかりとした文字を臨書したり、ひたすら眺めたりすることによって培うことができます。

手習い・目習い、どちらも同じくらい大切です。

 

虞世南(ぐせいなん、558~638)撰文並びに書 「孔子廟堂碑」(こうしびょうどうひ、628~630年頃のもの)
↑虞世南(ぐせいなん、558~638)撰文並びに書
「孔子廟堂碑」(こうしびょうどうひ、628~630年頃のもの)

 

欧陽詢(おうようじゅん、557~641)書  「九成宮醴泉銘」(きゅうせいきゅうれいせんのめい、632年)
↑欧陽詢(おうようじゅん、557~641)書
「九成宮醴泉銘」(きゅうせいきゅうれいせんのめい、632年)

 

褚遂良(ちょすいりょう、596~658)書 「雁塔聖教序」(がんとうしょうぎょうじょ、653年)
↑褚遂良(ちょすいりょう、596~658)書
「雁塔聖教序」(がんとうしょうぎょうじょ、653年)

 

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