手書き筆文字原稿について

当WEB名前字典の原稿は、ひとつひとつ、毛筆で丹念に書いています。

当字典を始めようとしている今の時点で、すでに書き上がっている原稿は、以下の画像のようにたくさんあります。

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A4の紙に多くの枠を印刷し、その枠の中に書いています。

もっと大きく書けば、筆記の難度はぐっと下がりますが、大きく書くとその分、紙と墨と筆の鋒先を浪費してしまいますので、しかも、原稿のカサが大きくなりすぎますので、原稿はそれらを勘案して細字にしています。

WEB名前字典にこの原稿の文字を載せるときは、実際に書いているサイズよりもずいぶんと大きくして(世間では大きく書いたようなものを縮小して何かに使うことが主流ですが、当方は逆のやり方に挑戦)、見やすくいたします。(インターネットがある社会だからこのような字典を世に問うことができます。 原稿の紙の厚さは、今の時点でも、軽く広辞苑20冊分以上の厚さになっていますので、書籍にすることは現実離れしています)

漢字一文字の名前枠は、漢字二文字以上の枠よりも縦をやや短くしています。

カタカナとひらがな用の枠は、二文字と三文字以上でそれぞれ縦のサイズが違います。

例えば、ひらがな三文字の名前、ひらがな七文字の名前、どちらも同じサイズの枠に書いていますが、こうすることによって字典全体に統一感を出しています。

また、決まったサイズの中にさまざまな文字(文字数)を書くことで、字形をどのように工夫すればその空間にうまく収まるかという、そのアレンジの仕方の参考にもしていただけます。枠は消さずにそのまま載せてあります。余白のおさえ方の参考にもなるはずです。

当サイト上には、文字の練習用に、同じ枠をプリントアウト(A4)できるページがございます。(*ただいま準備中)

サイズは2種類あり、
aは当方が実際に書いている原寸大の枠です。
bは1.5倍のサイズです。
(※原稿を書いている紙は市販のごく普通のA4のコピー用紙です〔やや上質〕。特殊な紙、高価な紙ではありません)

毛筆(あるいは筆ペン)で書く場合も硬筆で書く場合も、最初は大きめの枠を使い、大きく練習されることをオススメします。大きいサイズで書くことにより、細かいところを丁寧に練習することができます。それにより、小さく書くときも、細かい部分に意識が及びます。

aの枠に、毛筆で書くことは、最初はおそらくかなり難しいと思います。枠内左右の余白には遊びをあまり設けていませんので、力をしっかりと制御できなければ、うまく入らないようになっています。aの枠で書くことが難しいのは、力の制御は、文字サイズが小さくなるほど困難になってくるからです。意に反してつい線が長くなってしまうことはよくありますが、そうなるとすぐにわかります。この枠によって力をぐっと内に込める練習もできます。

力を制御できないうちは、人間の姿勢と同じく文字の姿勢もだらーんとします。気をつけましょう。電車などで、足を投げ出し開いている姿は美しくありません。(ちなみに、“楷書”と“標準的なカタカナ”が、断トツに難しい。バランスを追求して書いている者の確かな実感です)

サイズなどの話はともかく、コピー用紙に毛筆で書くと、最初のうちは鋒先(穂先)が滑って滑って書きにくく感じられると思いますが、だからこそ、筆力を鍛える相当な練習になります。続ければ、鋒先を紙に食い込ませるための微妙なコツを体得できるはずです。これは自分でつかみとるしかありません(*見本は毛筆で書いた文字ですが、毛筆文字を見ながら硬筆で書くという練習方法ももちろんあります。数行後にもう少し説明します)

ところで、原稿は五十音順ではなく、ランダムに公開していく予定です。その時、その時の運営者の眼力で、80点以上のもののみを公開します。80点未満のものは書き直します。

ご自分のお名前以外も、もちろん文字生活の参考になります。ぜひご覧ください。日常生活のふとした時間にただ眺めているだけでも、文字感覚がじわじわと鋭くなってくるはずです。世の美文字系書籍のサンプル文字の、そのほとんどが△例に見えてくるかもしれません。

当WEB名前字典の見本文字はすべて毛筆の文字ですが、だからといって硬筆の参考にはならない、ということはございません。

そもそも書の古典は毛筆で(多くは石に彫ってあるものです。仮名は肉筆です)、それら毛筆の筆意をもとにして硬筆が書かれてきたという歴史があります。

硬筆(万年筆・ボールペン・鉛筆etc )を使用される場合も、あたかも毛筆を使って書いているような力加減を意識されますと、文字に深みを出せるようになってきます。始筆や転折の押さえ方、ハネやハライの丁寧さをきちんと参考にするには、毛筆の見本は効果的です。

名前は一生の伴侶。みんなにあります。日本全国たくさんの方の参考になればうれしく思います。

字は下手よりはバランスよく書けた方がいい。

名前美人・名前美男、文字美人・文字美男になってみませんか。

『史記』に、
「籍(秦末の楚の武将・項羽のこと)曰く、書はもって名姓を記すに足るのみ。剣は一人の敵、学ぶに足らず。万人に敵するを学ばん」
(……書〔文字〕は、名姓が書ければ事足りる、剣術は一人の敵を相手にするだけのものであるから、学ぶまでもない。万人を相手にする兵法をこそ私は学びたい)とあります。

いつの時代も、せめて自分の名前はきちんと書けるようになりたいものです。

古代から現代に至るまで、このことは何も変わっていません。

そして名前を糸口にして、文字に全く興味がなかった方の文字意識をほんのわずかでも喚起できれば、書に携わる者としてこれほど嬉しいことはございません。

フォントなみの正確さと読みやすさを手書きで保ちつつ、手書き文字独特の脈をうったような空気感でフォントを凌駕していきます。

文字を並べたときのフォント同士のバランス感覚にいたってはまだまだ未熟なものがほとんどです。筆文字フォントで印刷した郵便物の宛名を見れば、バランスのおかしなフォントの方が多いことがわかります。

特に、やわらかい平仮名はフォントでは話になりません。

フォント同士を組み合わせたときのバランスがいつまでたってもどうもおかしいのは、前後の文字に適したものを使うという、臨機応変の字体の使い分けができないからです。

当WEB名前字典は、名前見本という性格上、同じ文字が何度も何度も出てくるのですが、もちろん、ひとつひとつ、その都度書いています。書は組み合わせ方が大事だから、組み合わせて書いたものを提示しています。こだわればそうする以外方法がありません。組み合わせたものを見てはじめて、正しい呼吸のようなものがわかるはずです。単品の文字を一字ずつ書いて並べてある普通の漢字字典とは大きく異なります。

文字同士を微妙にアレンジしてバランスよく組み合わせるところは、書の妙味のひとつです。一字につき字の形が一種しかないフォントにはこれができません。

単品の文字だけを一字ずつ書き、それらを並べ替えて名前見本を作れば、ずいぶん安易に名前字典を作ることができる、ということはわかります。

でも、そうやって文字を兼用すればバランスのおかしいもの、太さがチグハグのものがたくさん出てきます。易きにつけば必ず歪みがあらわれます(二ヶ月前に書いた文字と今日書いた文字を組み合わせると、普通、そもそも調和しません。字の趣がどうしても変わります。一日で数千字を安定して書けるなら、文字同士を違和感なく組み合わせられるかもしれませんが、現実的には不可能です)。書に携わる者としてそんなみっともないことはできません。

例えば「由美子」と書くときの「美」と、「明美」と書くときの「美」。

「由美子」の「美」はあいだに挟まれます。「明美」の「美」は最後の文字です。同じ「美」ですが、書くときは線の長さを微妙に変えてバランスを整えます。同じようには書きません。「由美子」の「美」は、名前の流れが滞らないように、ほんの気持ち、控えめに書くものです。

字典や大部分のフォントから集字した名前のバランスが、おかしくなってしまうのはまあ当たり前。

ひとつひとつの文字はよくても全体感はよくない。木を見て森を見ずです。

とはいえ、そんなハイレベルのことまで気にする人が今の世に多くいらっしゃるとは思いません。気にする人なんておそらく少数。だから、文字を体(てい)よく集字した見本でも多分問題ない。大丈夫。

でも、

私たちは、

我慢できない。鈍感になれない。

私たちが思い描く理想の空気感や風合いのものが世間に無いから、思い切って自ら書きました。感心できる文字が今の世にごろごろあるなら、一働きしようとは思いません。

どんなにいいスーツを着ていても、どんなにいいバッグを提げていても、どんなにいい靴を履いていても、どんなにかっこいい車に乗っていても、字が見苦しい大人って、けっこう格好悪い。えらい人でも、字がごちゃごちゃしていると、ほんとうにもったいない。がっかりします。(もっとも、字だけバカみたいにひたすら書きつづけているような状態もよいとは思えませんが……。物事を深く考えられる思考力をこそ、字を書く技術以上に身につけたいものです。書をきちんと習いたいのであれば、常に書について深く深く考えている先達を、年数をかけて、足を棒にして探し回るべき。長年腐れ縁みたいな状態でただずるずると書に関わってきた人の話ばかり聞いていても思考力は磨けません。どんどん鈍感になります。『荀子(じゅんし)』勧学篇には「君子居るに必ず郷を擇(択)び遊ぶに必ず士に就く」とありますが、これは、情熱のある人々はよき師を求めてあちこちに赴き、熱い同志たちとともに自分を磨いていくという意味です(これが遊学)。ここには、自分たちの力で少しでも世の中をよくしたいという心意気もあるはずです。それはともかく、「手書き(てかき)あれども文(ふみ)書きなし」といいます。字だけが表面的にただうまくても仕方ない)

ご自分のお名前の書き方を、確かな手書き筆文字でご確認ください。

繰り返しますが、ご自分のお名前以外も、もちろん文字生活の参考になります。ぜひご覧ください。日常生活のふとした時間にただ眺めているだけでも、文字感覚がじわじわと鋭くなってくるはずです。手習いと同じくらい“目習い”も大切です。

2014年11月

 

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