point 2 大きく書かずに大きく見せる。
「時」
「時」を見てみます。先ず、一番強調する画は何画目でしょうか。
答えは7画目です。
そして、基本的に、楷書や行書の長い横画は細く書きます。時計の分針が時針より細めになっていることと同じでバランスよく見えます。
この7画目ですが、「細くから太く」に変化をつけたこともポイント。奥の方からこちら側(手前)に迫ってくるように見えます。その分、視覚的には書線が長く見え、小さく書いていながらもスケールを大きく見せることができます。
この線を下側面(①の方向から)からもし“立体的”に見たとしたとき、細くからだんだん太く書いた線、すなわち奥から手前に迫ってくるかのように書いた線は、図1のAの線のように動いていると考えることができます。
太さが一定の線ならそのまま横に動くため(B)、細い太いの変化をつけたAの動きよりも距離がやや短くなります。
次に太細によって生まれる視覚的な効果を、もうすこし別の視点で見てみます。
紙に力が加わったときの深度の視点です。穂先(鋒先)の浮沈によって、書線の深度、すなわち紙に加わる押しのエネルギーが変わってきます。
「時」の「寺」部分、横画が三本あります。一番上の横画を太く、真ん中の横画を細くしています。
太い線は深く、細い線は浅く沈むことになります。太い線の時、穂先をやや強めに紙面に向けて押すからです。
例えば、指で押せばへこむような薄いアルミ板が手元にあるとします。
強く押せば深くへこみ、軽く押せば浅くへこみます。
そしてそのアルミ板と同じような、書けば(押せば)へこんで元に戻らない紙があったと仮定して、その力の強弱具合を紙の側面(②の方向)から見たとすれば、それは図2のように見えます。力の強弱の変化による図2のような動きあるいは波動が、実際にへこむアルミなら視覚的にもよくわかります。
紙に筆で書くならば、アルミ板に力を入れたような視覚的な変化は、もちろん紙面には現れません。
しかし、「紙面に加わる力に強弱が発生した」ということに変わりありません。
これがリズム感ある視覚的な効果を発生させてくれます。
遠くに見える山脈も、高さがまちまちだから美しく感じられます。
書が単調だよ、といわれたとすれば、
それは様々なことに考えが及んでいないから、視覚的にそう見えてしまうのです。
喩えが極端ですが、ジェットコースターで考えた場合、ゆっくりと上がって猛スピードで下がる、しばらく直線かと思えば急に曲線など、強弱があるからおもしろいのであって、
ゆっくりと上ってゆっくり下がるとか、猛スピードで上って猛スピードで下がるとか、ひたすら直線、とかならスリル半減です。
戻しますが、このような運筆の強弱が、文字にリズム感・波動を与えます。
文字がたくさん並ぶと、字間や行間の広狭、穂先(鋒先)の浮沈による線の太細によるリズムを、より多くちりばめることができます。
間(ま)のとりかたに成功すれば、それらのリズムがうまく絡み合い、心地よい作品になります。
決められたサイズ・枠の中で、それが小さいものであってもいかに大きく、そして品よく見せることができるか、これも書の醍醐味のひとつです。プロならそこが腕の見せどころ。巨大で迫力ある書も楽しめますが、紙面いっぱい力任せに大きく書いたものが大きく見えるのは当たり前。
当WEB名前字典原稿のような細字サイズで、精緻なものを書くにはけっこうな修練と年数が必要ですので、同じサイズでの筆記はかなり難しいと思います。
まずは半紙に二文字や一文字書くような、ずいぶん書きやすいサイズで細部にこだわって練習し(いずれ、当名前見本枠と同寸法<当方が実際に書いている枠サイズ>および枠を1.5倍に拡大したものを並べた、プリントアウト用ページを設ける予定です。最初は1.5倍サイズの枠で大きめに練習されることをお勧めします。1.5倍サイズといっても半紙に書くような大きなサイズではありません)、今度はその細やかさを細字に生かすように書かれますと、細かい文字もきちんと的確に書けるようになってきます。それを拡大コピーしても破綻がないようになればしめたもの。
書の手本の体裁にしてあるものは、概して古典の文字を半紙サイズに“拡大”してから印刷してあります。緻密だから拡大に耐えています。大きくしても崩れません。
実生活で、半紙サイズの文字を使うことはほぼありません。大きな文字を書いて習った筆意は、便せんの筆記や、ハガキや封筒の宛名書きに是非とも生かしたいものです。
(以下の17行分は他の項目にも同じことを書きましたので重複しますが、もう一度書いておきます)
例えば、ゴルフは、細かいことが見えてくればくるほど、かえってスコアがのびなくなるといいますが、
書も、細かい部分が見えてくれば、何も知らなかった時のようにはのびのびと書けなくなります。
しかし、この精緻な心持ちは、具眼者の眼に耐える文字を書くためには必須。
精緻さ無しに進歩はしません。
細かい部分を難無くこなせるようになれば、文字が変わってきます。
精緻さのある人のみが、将来ものになる可能性があります。
愉快な趣味で終わってもいいなら、野放図に楽しんで書いていればそれでいいと思います。好き勝手なものには、苦しい過程なんてひとつもありません。
敏感になってはじめて、その時からほんとうの苦しい修練が始まります。そして、いいものをたくさん見なければ上達できません。眼の高さ以上に上達できないからです。
なんでもそうですが、鈍感なゆるい心持ちのうちは、ただただ楽しめます。
大きく書かずに大きく見せるという心持ちは、書の重要なポイントのひとつです。
「陽」
「澄」
〈登〉字の、左側より右側を広く作ることにより、文字に広がりがうまれます。
〈登〉字が左右対称のような形になってしまったことにより(言いかえると正面を向き過ぎているために)、奥の方からこちらに迫ってくるような動きを感じることができません。よって、スケールが小さく見えてしまいます。